レモンの歴史
レモンはどこから来たのか?
妻と買い物に行った。
おせんべいのようなお菓子を売っていた。
お菓子コーナではなく、
野菜コーナーに特設台を置き、
そこで販売していたので、
少し気になり手に取った。
レモンのおせんべいのようだ。
実際には買っていないので分からないが。
で、その袋の裏を見ると、
「いつ、瀬戸内にレモンが来たのか?」
の説明があった。
和歌山の方に、別の苗の注文をしたところ、
間違ってレモンの苗が届き、
それを育てたのが始まりとか・・・
レモンは、いつ生まれ、
いつ、日本にきたのだろう?
当然のことながら、知る由も無かった。
1、最初の柑橘の木
アジアとオーストラリアが一つの大陸であっ
た約2000万年前、「マンダリン」「ザボン」
「シトロン」という柑橘の3つの野生種が生
まれたようです。今ある柑橘類は、この3つ
の種の交配によって出来たもの。
レモンは、そのほとんどを「シトロン」から
受け継いでいます。
☝ シトロン
シトロンは、今でもあって、
イタリア南部、コルシカ島、ギリシアで
糖果用に栽培されています。
果肉は淡黄色で酸味が強く、そのまま美味し
く食べられるものではないようです。
果実は砂糖煮に、果汁は飲料とし、クエン酸
の原料としたり、果皮や葉から香油を取った
りするようです。
シトロンの種子は、紀元前4000年前のメソポ
タミアの発掘現場から見つかっています。
紀元前800年以前には、ヒンドゥー教の聖典
にシトロンに関する記述があるようです。
紀元前600年までには、インドからペルシア、
バビロニアへと南下し、そこでユダヤ人に見
いだされパレスチナへ伝えられます。
紀元前300年頃、アレクサンダー大王の軍隊に
よって地中海へもたらされました。
この様にして、ヨーロッパに伝わり栽培され
た最初の柑橘類となり、地中海海域の柑橘栽
培をやがて大きく花開かせたようです。
シトロンは「食べる」という事ではなく、
お供え物としての需要が高かったようです。
ユダヤ収穫祭、仮庵の祭りには、ルラブ(
ギンバイカと柳の枝で束ねたシュロの枝)と
シトロンが必要で、どちらもこの祭りには
欠かせないシンボルとなっていた様です。
4世紀にシトロンが中国へ伝わった後、仏教
徒は仏手柑(ブッシュカン)を珍重しました。
これは、シトロンの変種で、果実の先が
何本もの指のように長く裂けていて、その指
の部分を合わせた様子が合掌に似ている事か
ら名付けられたようです。中国では、この仏
手柑が家庭や寺院の祭壇の供物として大切に
されています。
シトロンは、マルブシュカンとも呼ばれて
います。
☝ ブッシュカン
2、最初のレモン
レモンは、いつ、どこから伝わったのか?
レモンの原産地はインドのヒマラヤ山麓の温
暖な地域(インド北部)のようで、ブンタン
類とシトロン類との交雑から生まれたと推測
されていますが、レモンが栽培され始めた当
初の事は、具体的には分からないようです。
古代の天然交配種のレモンは、簡単に雑種を
造ることも出来るし、突然変異種を生み出す
ことも出来るので、過去の文献はレモンを指
しているのか、シトロンを指しているのか分
からない様です。
1400年以上前、イスラム教徒のアラブ人達が
インドやペルシャでレモンを好み、行く先々
にレモンを持ち込み、スペインやシチリア、
北アフリカへと渡っていったようです。
レモンについて最初に記した文献として知ら
れるのが、紀元904年のアラブの農業手引書
で、この書ではレモンをシトロンと区別し、
laimunの木は寒さに非常に弱いと説明して
います。
9世紀、イスラム軍がシチリアを征服する
と、その島の肥沃な土地に魅せられたアラブ
の農民達がやってきて、レモンを含む、東洋
から多くの作物を持ち込んだようです。
200年にわたるアラブ人のシチリア支配の後、
続いてやってきたノルマン人もレモン栽培を
継承しました。レモンはヨーロッパに持ち込
まれることになります。
15世紀には、イタリヤやスペインでも盛んに
栽培されるようになっていくようです。
レモンの栽培をより一層拡大していったの
が、「壊血病を治癒した事」でしょう。
1500年頃、ヴァスコ・ダ・ガマの航海で、
或いは、マゼランの航海等で船員達を
襲った病気。
「上下の歯肉が腫れ上がり、何も食べられ
ずに餓死した」
「手足の痛みや歯肉の腫れに苦しみ、
次々と死んでいった」
その後、300年間、長期の航海をする船のほと
んどに壊血病はついて回りました。
英国の提督リチャード・ホーキンスによれ
ば、彼が海軍にいた16世紀後半の20年間に
1万人の船員が壊血病で死亡したと言いま
す。結局、壊血病で死亡した船乗りは
200万人を超えることになります。
ビタミンCは、身体構造を取り囲み、その形態
を保持する結合組織に含まれるタンパク質、
コラーゲンの生成に不可欠です。長期の航海
のように、3ヶ月以上も生の果物や野菜なしで
過ごすとコラーゲンが十分に生成されず、歯
肉の出欠や腫れ、手足のこわばり等様々な症
状が出始め、最終的には死に至ります。
1582年 壊血病にやられた船員達は、西アフ
リカの海岸に上陸し、そこに生育していた
レモンを食します。
「レモンの果汁で口内を洗浄すると、
口の症状が直るものもいた」
こうした事例は、レモンが壊血病に効くと
いう説得力のある根拠と思われました。
後、英国海軍は、19年間で約600万リットルの
レモン汁を支給します。pan>
レモン汁は樽の中でオリーブ油の層の下に
保存され、果汁のアスコルビン酸のほとんど
が失われずに保てたとの事です。
当然の事ながら、これで壊血病にかかる船員
がいなくなっていきます。
こうしたレモンの船舶への積み込みは、
レモンの消費を拡大させるきっかけとなり、
レモン農場は各地に拡大していくことにな
ります。
3、レモンが日本にやってきた
「日本果実史年表」に、明治8年4月に「勧業
寮、米国加州在住の総領事 高木三郎氏の手に
より、アメリカからオレンジ、レモン、スト
ロベリー、ホップ等の種苗を導入」と記載さ
れているようです。
又、別の書物では、
「日本に伝わったのは開国後の明治です。
数多くの舶来品の中にレモンも混じって
いました。明治6年、ある外国人が静岡県の
熱海に湯治に訪れた際、食膳に供されたレモ
ンの種を庭に撒いた。」という逸話もある
ようです。
いづれの内容が正しいのか分かりませんが、
明治初期に日本に来たのは間違いなさそう
ですね。
瀬戸田レモンの栽培史跡を見ますと、
「昭和3年、カラタチ苗木300本を植え付
けし、リスボンユーレカレモンの芽接ぎ
を行う」で始まっており、
昭和になってから栽培が始まった事が
伺えます。
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